犬でもわかる現代物理』(Orze, Chad. 佐藤 桂[訳]. 早川書房, 2010)についてのメモ.

  • 不確定性原理は「系1の観測がその系の状態を変化させる」などと表現されることが多い. しかし結論から言えば,不確定性は観測というプロセスの中身とはほとんど関係無い. 量子の不確定性とは,量子的物体が粒子と波動双方の性質を持つという事実から生じた知りうることの本質的な限界である.
  • 「観測という行為が系の状態を変える」という不確定性を要約する一般的な言いまわしはもともと古典物理学に基づいており,1920年代から30年代,従来の教育を受けてきた物理学者たちに量子の不確定性をまともに受け取ってもらうために編みだされた. これは物理学者が「半古典論」と呼ぶもので,使われている物理学は古典的であるが現代物理学の概念がわずかばかり加えられ,完成したものでは無いがすんなりと理解しやすい.
  • 不確定性原理とは,単に位置と運動量は観測が不可能だという意味ではない. それらの物理量は厳密な意味では存在しないと言っているのである.
  • コペンハーゲン解釈は量子論の問題に対するきわめてその場限りのアプローチである. コペンハーゲン解釈では,ミクロとマクロの物理学に厳密な線引きをすることで,重ね合わせ状態と観測の問題を避けようとしている. 量子的な観測にはマクロな観測装置とミクロな物体との相互作用が生じ,その相互作用はミクロな物体の状態を変える(と,考える). 普通は波動関数がただひとつの状態に「収縮する」と記述される. コペンハーゲン解釈における「収縮」とは,多様な観測結果が生じうる拡散した量子状態から観測値がひとつの状態へと,波動関数が実際に変化することを指す. ミクロとマクロの完全な分離を主張するコペンハーゲン解釈の考え方は,何が起こるかは説明しても,なぜ起こるかについては触れておらず,その問題を避けているにすぎないという考える物理学者も多い.
  • コペンハーゲン解釈についてもっとも納得のいかないのは,ある量を観測するときに起こる現象を記述する数学的手法が無いという点である. シュレーディンガー方程式を使えば観測と観測の合間の波動関数に何が起きているのかは計算できるが,コペンハーゲン解釈では観測する瞬間,通常の物理学はなりを潜め,ただひとつの結果を選び出すために既知の数式が当てはまらない「何か」が起こると言うのである. ミクロとマクロの物理学を恣意的に分離することや謎めいた「波動関数の収縮」などコペンハーゲン解釈には場当たり的な傾向がある.
  • 量子観測の問題におけるコペンハーゲン解釈とは異なる説明のなかで,有名なのは「多世界解釈」と呼ばれるものである. Hugh Everett(1957)2は,波動関数の収縮を記述する数式が無いのは,波動関数の収縮などというものは無いからだと述べた. Everrett(1957)に基づく多世界解釈には「収縮」は無いが,波動関数は指数関数的に長くなる. また,我々に見える系はひとつの状態に限られるので,一見すると現実を無視しているようにも受け取れる. 波動関数のいくつもの項があちこちで増殖しているのなら,物体が同時に多数の状態にあることを認識できないのはなぜだろうか,という疑問が生じる. Everettによれば,その答は波動関数から観測者を切り離すことができないからである. 観測者は系の部分と一体となっており,結果として我々が認識できるのは波動関数全体のなかで自分たちのいる小さな部分だけである. 波動関数は常に連続して滑らかに時間発展していくが,我々は一時にひとつの分岐しか経験しないうえ,その分岐はランダムに選択されたものである. 無数にあるほかの分岐はどれも我々の分岐の出来事に探知できる影響を与えることはない.
  • しかしながら,互いに影響を与えることのない分岐は,波動関数がことさら多くの分岐を持っているとするのなら,なぜ普段から身のまわりで干渉を目にすることがないのだろうか,という深刻な問題を提起する. その答は,分岐した波動関数のそれぞれが相互作用しあうのを防ぐ「デコヒーレンス」と呼ばれるプロセスである. デコヒーレンスは,より大きな環境との変動するランダムな相互作用の結果であり,分岐した波動関数のそれぞれの間に干渉が起こる可能性を打ち消し,我々の経験している世界を古典的なものにみせる. これは,量子力学の多世界解釈にのみ起こるのではなく実際の物理現象である3
  • (中略)
  • 量子論を悪用した詐欺には,大きくわけて「フリーエネルギー」と「代替医療」の2つの分野がある.
  • フリーエネルギー詐欺では「ごくわずかな仕事量で膨大な量のエネルギーを生みだす仕組みを開発した」と触れまわる. 基本的な売り文句は「小さな労力で大量の電力が得られる」というものであるが,これは永久動力機関を発明したと宣言しているのとなんら変わりない. 科学者ならば永久動力機関などはありえないということを何百年も前から知っている. 量子力学によってその結論が変わることはない.
  • 量子論を悪用した代替医療詐欺の売り文句によく出てくるのは量子観測である. 量子論では観測されるまで状態ははっきり決まらないと前置きしてから,健康への鍵は健康的な自分を観測することだと主張する. しかしながら,これは量子効果を見せるにはあまりにも大きすぎるシステムに量子の概念を当てはめている. 量子効果を引き出すのは極めて困難であり,調べたい系が大きければ大きいほど見えにくくなる4. さらに,量子観測は原則的にランダムであり,どのような結果が出るかを事前に知る方法はない. 宇宙の波動関数が分岐したなかには,健康的な自分が存在するものがあるかも知れないが,観測結果を利用してその宇宙へと到達することはできない.

自分の不確定性原理に対する理解が「半古典論」レベルであったことに気づくことができて良かった. しかし,この説明を受ける犬(エミー)は頭が良過ぎる…


  1. 相互作用を及ぼし合う要素からなる,問題にしている部分のこと. ↩︎

  2. Hugh Everett (1957). “Relative State” Formulation of Quantum Mechanics. Reviews of Modern Physics. Vol.29, pp.454–462. ↩︎

  3. それだけではなく,コペンハーゲン解釈の後継と期待される代案の全てがデコヒーレンスを観測のプロセスにおける重要な部分とみなしている. ↩︎

  4. これまでに量子重ね合わせ状態を観測できた最大の物質は,約10億個の電子の集まり(これは,日常的な物体に比べたらごく少数)であり,量子ゼノン効果にいたっては1個の粒子でしか実証されていない. ↩︎