アホであることの大切さ』(MAKE:Japan Blog),

UVA MicrobiologistのMartin A. Schwartz は、Journal of Cell Scienceに面白い記事を書いている。彼が言うところの “創造的愚” の大切さに関する内容だ。
ひとつには、学生たちが、研究がいかに難しいものであるかを、まったく教えられていないことだ。特に重要な研究を行うことは、ものすごく難しい。ものすごく厳しい科目を取るよりも、ずっと難しい。なぜ難しいのかと言えば、研究とは未知の物事への没頭だからだ。自分が何をしているのかすらわからない。答や結果が得られるまで、自分の疑問は正しいのか、正しい実験を行っているのかすらわからない。
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2つ目は、私たちが、学生を創造的愚者に育てるための十分な努力をしてないことだ。つまり、自分が馬鹿だと思えないならば、心底努力していないということだ。ここで言うのは “相対的な愚かさ” ではない。クラスの他の学生が資料を読み考察し試験でAを取ったが自分は取れなかった、という話ではない。また、非常に才能ある人々が、その才能を発揮でいない職場で働いているといった話でもない。科学は、自分自身の “絶対的愚” と対峙する要素を含んでいる。
自分が馬鹿(阿呆)であることを認識するのは重要(かつ,必要)だと思うけど,自分が馬鹿(阿呆)であることを何かの言い訳にしてはいけないとも思う…