「人工冬眠」への挑戦 — 「命の一時停止」の医学応用』(市瀬 史. 講談社, 2009)についてのメモ.

哺乳類の(自然な)冬眠

(自然な)冬眠中の哺乳類の体温は摂氏0度以下にはならないが,昆虫,爬虫類などには冬眠中に体温が摂氏0度以下になるものがいる.

冬眠時のリスの体温は周辺温度よりも2〜3度高い程度まで低下するが,ほぼ2週間おきに体温を戻す. それに対して,冬眠中のクマの体温は通常よりも3〜7度程度低下するだけである. また,冬眠中のクマは,水分,尿素,カルシウムなどをほぼ完全にリサイクルできる. このため,冬眠中に水分補給は必要とせず,絶食中・運動不足でも筋肉の萎縮が起きたり骨粗鬆症になったりしない.

睡眠と冬眠

人間が8時間睡眠で節約できるエネルギーはトースト1枚ぶん程度であり,エネルギー節約のために睡眠しているわけではない. 睡眠は脳(細胞)の修理・再生や記憶の整理のために必要だと考えられている1. そして,記憶の整理はREM睡眠中に行なわれる. 冬眠中のリスがわざわざ2週間おきに体温を上げるのは(REM)睡眠により2脳機能を維持するためのようである. それに対して,冬眠中のクマの脳活動は睡眠時に似ており,REM睡眠状態がある.

人間の人工冬眠においても脳機能を維持するための「睡眠」を実現する必要があるかも知れない.

人間の冬眠の可能性

有胎盤類3,有袋類4,単孔類5という現存する哺乳類の全てのグループに冬眠するものが存在する. このため,冬眠を可能とする能力は全ての哺乳類の先祖が持っていたものであり,人間にも冬眠を可能とする遺伝子が引き継がれていると考えるのが自然である. また,近代以前には,食糧が不足する冬季はあまり活動せず,ほぼ寝て過ごすという風習6があったという記録もある.

また,臓器(移植|保存)や低体温医療など,短時間・部分的には冬眠と同じ(ように見える)状態にすることが可能となっている.

硫化水素による人工冬眠

多くの生物にとって硫化水素は毒である. しかしながら,マウスの実験において,硫化水素ガスを吸入させたり停止することにより,仮死(冬眠)状態と通常の状態をコントロールするという方法が発表7された. 通常,マウスは冬眠しないので,人間などにも応用できる可能性が出てきた. さらに,筆者(市瀬)らの追試でも同様の結果が得られただけでなく,仮死状態のマウスは,a) 心拍数は通常時よりも下がるが血圧は下がらない,b) 痛みなどの刺激に対する反応は通常時と変わらない,という興味深い結果も得られた.

だが,別グループのブタやヒツジを用いた実験では,同様の結果は得られなかったという報告もある. これは,種による硫化水素に対する感受性の違いによるものか知れないのだが,高濃度の硫化水素ガスは肺や粘膜に障害を起こすため,吸入させる硫化水素ガスの濃度を上げることは難しい. このため,硫化水素供与体を注射したするという方法が考えられ,この方法によりブタの代謝率が下がったという研究結果も発表された.

硫化水素が代謝を抑制するメカニズムは完全に解明されておらず,リスなどの自然な冬眠とは異なると考えられるが,可逆的な代謝抑制(つまり,冬眠)に利用できる可能性がある.

感想

クマの冬眠時の物質やエネルギー・リサイクルの話だけでも,生物は驚くほど良くできたシステムだと感心する. やはり,こういう科学系のテーマの本は面白い. 社会問題がテーマの本を読むと興味深いがイライラがつのる8ことが多いのだが,本書のような科学・生物学などがテーマの本は読んでいて楽しい…


  1. また,免疫機能・体温調整機能の維持のためにも睡眠が必要だと言われている. ↩︎

  2. 低体温時のリスの脳活動は睡眠中のものとは異なる. ↩︎

  3. 冬眠するのはリス,クマなど. ↩︎

  4. 冬眠するのはピグミーポッサム. ↩︎

  5. 冬眠するのはハリモグラ. ↩︎

  6. ロシアの「ロツカ」など. ↩︎

  7. H2S Induces a Suspended Animation-Like State in Mice. Blackstone, E., Morrison, M.   Roth, M.B. Science, Vol.308, No.5721, 2005. ↩︎

  8. だからと言って「気の持ち方を変えて楽しく生きよう」みたいな本には胡散臭さしか感じないのだけど… ↩︎