図書館で借りてきた『苟も日本人なら知っておくべき教養語』(林 秀彦. PHP研究所, 2004)を読み終わった. 基本的に,つまらなかった本については何も書かないことにしているのだが,あまりにも阿呆らしい本なので一言書いておきたくなった.

これは,客観的な根拠なしに日本語・日本人特殊論を振りかざす読んでも時間を無駄にするだけの本である.

著者は,

考えてみればアタリマエで、どの民族であろうと母国語と民族は一体のものであり、知識と呼ぶ以前の素養なのである。

と書いているが,この文を読んだ瞬間に,この本を投げ捨てようかと思った. 苟も1言語の社会・文化的な側面について書くのなら,「母語」と「母国語」,「民族」と「国籍」についてはきちんと区別すべきである. 上に引用した文の「アタリマエ」をカタカナで書いている2ように,はっきり言ってこの本の文章からは,全く教養が感じられない…


  1. かんな + cannadic 0.95cなら,きちんと「いやしくも」を「苟も」に変換できるようだ. ↩︎

  2. これは,週刊誌などの三流記事に良くある手法.かなり軽薄な印象を与えるので,教養を語る本の中で用いられているのを見るとは思わなかった.しかも,彼はこの本で「日本語には言霊思想がある」と述べている. ↩︎